「酢には殺菌作用がある」と言われることがある。実際、食酢の主成分である酢酸には、細菌の増殖を抑えたり、条件によっては菌数を減らしたりする作用がある。ただし、ここで重要なのは、「酢に抗菌作用がある」ということと、「酢を正式な消毒剤として使える」ということは同じではない、という点である。
日本の食品成分表では、穀物酢100g中の酢酸量は約4.2gとされている。つまり、一般的な食酢はおおよそ4%前後の酢酸を含む酸性の調味料である。[1] この酸性環境が、食品中の微生物の増殖を抑える一つの要因になる。
酢酸の抗菌作用には、単にpHを下げるだけではない仕組みが関係している。酢酸は弱酸であり、酸性条件では「非解離型」の酢酸分子が増える。この非解離型酢酸は細菌の細胞膜を通過しやすく、細胞内に入ったあとで水素イオンを放出し、細胞内のpHバランスを崩す。その結果、細菌は内部環境を保つためにエネルギーを消費し、増殖が抑えられたり、条件によっては死滅したりする。[2]
実験研究でも、食酢や酢酸の抗菌作用は確認されている。食品由来病原菌を対象にした研究では、食酢中の酢酸濃度0.1%で調べた菌株の増殖が抑制されたと報告されている。また、腸管出血性大腸菌O157:H7などを含む食中毒菌に対して、食酢が殺菌作用を示すことも報告されている。[3] つまり、酢は単なる「酸っぱい調味料」ではなく、食品保存や酢漬け、酢飯などで微生物制御に役立つ性質を持っている。
ただし、酢の効果は万能ではない。殺菌効果は、酢酸濃度、pH、温度、接触時間、塩分や糖分の有無、食品中のタンパク質や油脂、対象となる微生物の種類によって大きく変わる。たとえば、同じ酢酸濃度でも、食品の内部まで十分に酸が行き渡らなければ効果は限定的になる。また、酸に強い微生物や芽胞を作る細菌には、通常の食酢だけでは十分とは言えない場合がある。
ここで、「食品の制菌」と「器具や作業台の消毒」は分けて考える必要がある。酢は食品そのものを酸性にして、微生物の増殖を抑える目的には適している。たとえば、酢飯、酢漬け、魚の酢締め、酸味を利用した保存性の向上などである。一方で、手指、作業台、調理器具、検査器具などを確実に消毒する目的では、酢を第一選択にするべきではない。
米国CDCは、酢や重曹などの代替的な家庭用洗浄剤について、EPA登録された消毒剤ではなく、消毒目的には使うべきではないと説明している。CDCの記載では、原液の酢が一部の菌に効果を示す場合がある一方で、黄色ブドウ球菌などに対しては不十分であり、消毒剤としての広い有効性は期待できない。[4] EPAも、消毒剤とは硬い表面上の細菌・真菌・ウイルスを破壊または不可逆的に不活化する製品であり、登録された製品は一定の基準を満たす必要があると説明している。[5]
このため、実用上は次のように考えるとよい。
食酢は、食品を酸性にして保存性を高めるための調味料・食品加工上の制菌手段として有用である。しかし、作業台や器具を確実に消毒したい場合は、70%前後のアルコール、次亜塩素酸ナトリウム、過酢酸など、用途に応じて正式に指定された殺菌剤・消毒剤を使う必要がある。アルコールについては、CDCが60〜90%の範囲を殺菌に有効な濃度として示しており、50%未満では効果が大きく低下すると説明している。[6]
つまり、「酢には抗菌作用がある」は科学的に正しい。しかし、「酢だけで何でも安全に消毒できる」は正しくない。酢は食品の酸化・制菌に強みを持つが、器具や環境表面の確実な消毒には、目的に合った消毒剤を使うべきである。
最後に、安全面でも注意が必要である。酢や酢酸を、次亜塩素酸ナトリウムを含む漂白剤と混ぜてはいけない。酸と塩素系漂白剤を混合すると、有害な塩素ガスが発生する危険がある。酢は身近な食品であっても、使い方を間違えると危険につながる。食品には食品として、消毒には消毒剤として、それぞれの役割を分けて考えることが大切である。